結構、波乱万丈な人生だったんですね。
びっくりしました。でもイームズの作品は好きです。
チャールズ・イームズは1907年、アメリカ合衆国ミズーリ州セントルイスに1男第5子として生まれた。12歳の時、父が他界。母と姉と共に二人の叔母の家に移り住む。その頃から父親の遺した写真機材を使い写真撮影を始めた。14歳の頃、高校に通いながら放課後や週末にレイクリード・スチール社で製図工として働き、 エンジニアリング、製図、そして建築の知識を身につけたといわれている。
イームズは1925年から1928年の間、奨学金を受けてセント・ルイスのワシントン大学建築学科に通った。彼は、研究課題としてフランク・ロイド・ライトを取り上げることを教授たちに提案し、近代建築に執着したため、退学となってしまう。その理由としてある教授は、「彼の物の見方はモダンすぎる。」というコメントをレポートに残している。ワシントン大学在学中、彼は最初の妻、キャサリン・ウォーマンと出会い、1929年に結婚し、ヨーロッパ旅行へ行き、モダニズム建築に触れる。その後、娘ルーシアをもうけている。
アメリカに戻ったイームズであったが世界恐慌の折、仕事はほとんどなく、チャールズ・グレイ、その後にはウォルター・ポーリーとパートナーを組み、セント・ルイスに建築事務所を開設。その間に設計した教会が「アーキテクチュアル・フォーラム」に取り上げられ、それを見たエリエル・サーリネンが手紙を送ったことでサーリネンとイームズの交流が始まる。
イームズに大きな影響を与えた人物に、フィンランド人の建築家、エリエル・サーリネン(後にその息子でエーロ・サーリネンとはパートナーとなり親友となる。)がいる。1936年、エリエル・サーリネンの招待で、イームズは妻子と共にミシガンに引っ越し、クランブルック美術学院に奨学生として入学。後にはこの学校で、工業デザイン学科長として教壇に立つことになる。イームズの入学申請当時、建築・都市計画コースでは、学生は前もって設計課題の決定と、そのための情報収集を行っておくことを必須としており、彼はセントルイスのウォーターフロントに興味を持っていた。
引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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